大阪の会社を退職したあとも、その会社の同僚たちとスキーの交流はありました。
恒例の信州への遠征。
信州でのスキーは、コンディションもよく慌ただしい日常を忘れさせてくれました。
そんな休日も終わり、目的地から大阪まで帰ってきて、環状線の下車する駅のホームで揺れました。
そんなに大きな揺れという意識はなかったです。
自宅へ帰るため、次の電車を待つまでの間、僕は同僚たちの寮で時間つぶし。
映りの悪いテレビを観ていると、少しずつ被害が鮮明になっていきます。
なぜかとても映りが悪いので、ラジオと並行して情報収集。
震源地が神戸らしい。阪神高速の橋脚が折れた。あちこちで無数の建物が倒壊・・・
気になるのは、同僚が梅田から神戸の現場へ直行するのに電車で別れたこと。
そして、ある同僚は知り合いの西宮へ車を取りに行ったこと。
安否が気になるものの、携帯電話はまだ一部の人しかもっていなかったような時代。
何時間後かにわかりましたが、幸いにも同僚は皆無事でした。
この少し前に、確かロサンゼルスで大きな地震が起き、高速道路が崩壊していたような記憶があります。
そのときは、何の根拠もなく日本ではこんなこと絶対ないよな!なんて思っていたのに・・
この日の約一カ月後、ある国家資格の免許状の交付を受けました。
建物を設計する上で必要不可欠なライセンス。
自分の中の安全神話が崩壊したからこそ、このライセンスの重さが今でもずっしりと覆いかぶさっています。
我々のつくる建物で人の命を危険にさらしてはならない。
ボランティア元年と言われたこの年、仕事で復興に携わりはしたものの、ボランティアでは関わることができませんでした。何かしなければ・・・そんな想いが長く続くほど後ろめたさが増すばかり。
しかし、この想いが今もあるからこそ、様々なことに頑張っていけるような気がします。
申し遅れました。
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